土地制度②〜国司の種類と寄進地系荘園の話

土地制度の2回目。延喜の荘園整理令によって公領が新たな仕組みへと生まれ変わり、そこからまた新たなタイプの荘園が生まれてきます。それを公領後半・荘園後半としてまとめていきます。

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公領後半・荘園後半に共通の話

口分田の成功に倣い、税金をかけるのが人から土地に代わりました。この課税対象となる土地のことを(みょう)、あるいは名田(みょうでん)と言います。「名いくらにつき税金をこれくらいね」といった感じで税金が決められたのです。

そしてそこで耕作する農民のことを田堵(たと)と言いました。間違えないでほしんだけど、この人たちは地域の有力者です。その下に作人と呼ばれる、いわゆるフツーの農民がいました。

あとは下人(げにん)・所従(しょじゅう)といった奴隷クラスの人たちもいましたが、とにかく田堵という有力農民が作人や下人・所従といった人たちを使って田を耕し、一定の税金を収めていたという構図がありました。

ひとまずここまでのことを、荘園公領制の後半を理解する上での前提知識として押さえてください。

公領後半

公領後半の特徴は、地域の支配が国司に一任されたことです。「一定以上の税金を何がなんでも中央に送れ。そのノルマさえクリアすればあとは好きにしてよい」と国司は中央から言われました。

国司の種類

これより中央にいる貴族にとって国司が超おいしい職となりました。現地で税金を集めれば集めるほど、それが自分のポケットに入ってくるんだから当然。中央でエラくになれそうにない人はみんな国司になることを希望したのです。

ここで国司に2つのパターンが生まれます。ノリノリで現地に行ってやりたい放題する奴と、中央で出世する夢を諦められないor田舎になんか行きたくないというバカヤローです。前者はもちろん現地に引っ越しし、後者は代理を送りました。

自ら行った国司を受領(ずりょう)、行かなかった国司を遥任(ようにん)と言います。遥任によって派遣された代わりの人は目代(もくだい)と呼ばれました。

あと身分として覚えてもらいたいのが在庁官人(ざいちょうかんじん)、国司が現地で採用する右腕で、律令制度の時にも出てくる郡司の他、郷司保司と言った人がなりました。3つの違いは市長か町長か村長かといった地域の規模の違いです。

この在庁官人に田堵から税金が届き、それが国司に送られるという仕組みになっていました。ちなみにこの税金は官物(かんもつ)や臨時雑役(りんじぞうえき)と言います。

この時代では当然のことと思ってほしいですが、この国司という人気の職につくためにはエラい人への賄賂が必要でした。お金を払ってなりたい配置にしてもらうことを売官売位(ばいかんばいい)と言います。

この賄賂を送って国司になることを成功(じょごう)と言いました。ほぼ100%の国司が成功と言っていいでしょう。ただ、その国司の仕事は任期4年で終わってしまいます。

すると当然のことながらさらにお金を払ってもう1回やらせてというお願いをします。こうして再び国司になることを重任(ちょうにん)と言いました。成功も重任も漢字に違和感はないですが、読み方が特殊なので注意だね。

国司の横暴

とにかくあらゆる手を使って自分の利権を強化していきました。そして好き勝手やるのです。 中にはさすがにやりすぎてブチ切れられた人もいました。大学受験では2人覚えておきましょう。

1人目は藤原元命(もとなが)。尾張国郡司百姓等解文(ぐんじびゃくしょうらげぶみ)として、訴えられた記録が残っています。もう1人が藤原陳忠(のぶただ)。超どん欲に金集めをしていたことが今昔物語内で語られています。

荘園後半

土地制度の最後、荘園の後半についてです。新しい公領の仕組みが定着すると、その仕組みの中で成功する人が出て来ます。この人たちの土地が後半の荘園のことです。まずは成功者の話からしていきましょう。2パターンいました。

1つ目が任期を終えた国司たち。お金や力を貯めこみ、京に帰るよりもその土地にずっといた方がいい生活ができるといって、そのまま居着いちゃった人たちが大量発生します。地域に居着くことを土着するなんていい方もします。

もう1つが田堵の中で経営に成功した人たち。これは大名田堵と呼ばれました。郡司等もこれに含まれました。どっちのパターンでもいいので、地域で最も有力な人を、その土地の開発領主といいます。

国司との戦い

公領のところでは国司がやりたい放題だという話をしました。そんな中でこの人たちはなぜ国司に搾取されずに財を作れたのか。それは桓武天皇あるいは嵯峨天皇のときの話を思い出してもらえれば分かります。

平安時代は軍隊とか警察がありません。桓武が健児の制で軍隊を無くしたのです。警察は役職としてはあったけど、ケガレが嫌で誰も仕事しません。ひとまず平安京の中だけは取り締まらなきゃということでようやくできたのが検非違使でした。

土地制度は地方についての話。ここには強制執行できるような人がいないのです。だからお金を取られる前に戦ってくれる人を雇ってしまえば国司に対抗することができました。もちろんこれが後の武士と呼ばれる人たちです。

開発領主vs国司は長く続きます。うまくやれば国司を押さえることができるが、ちょっとミスったりするとすぐ国司がやってきてせっかく貯めた財を根こそぎ持って行ってしまう。そんな不安定な状況でした。

そこで国司に取られるよりも圧倒的に少ないお金で安全を手に入れたいと思うようになります。その方法が中央にいる国司よりエラい人に自分の土地を全てあげてしまい、その土地を現地で管理する人にしてもらうというものでした。

このあげる代わりに見返りをもらう行為を「寄進」と言います。このことから、前半の荘園を初期荘園といったのに対して、後半の荘園のことを寄進地系荘園と呼びました。

寄進後は自分の持ち物ではないので、残念ながら領主とは名乗れません。そこで開発領主は荘官という名前に変わります。別名がいろいろあって、預所(あずかりどころ)・下司(げし)・公文・荘司・案主(あんじゅ)などは全て同じものです。

作人や下人・所従といった最下層の人たちを使って田堵が農業を行い、税金を荘官が集め、決まった分を都にいる寄進先に、残りは自分のポケットにという構図です。

ちなみにこの税金、公領では官物と臨時雑役と呼ばれましたが、荘園においては年貢公事夫役と呼ばれます。また田堵は途中から名主と呼ばれるようになったことも覚えておいてください。

寄進先の仕組み

以上が現地の話です。 一方、都にいて寄進された方は本家と言います。ただし、場合によっては寄進されたものをさらに上流の貴族や寺社に最寄進するということもありました。

本家というのは常に一番上にいる人です。だからその場合はこの再寄進をした人が領家という名前に変わります。本家は常に1人あるいは「寺社」みたいな単位のこともあるので1カ所、領家は0の場合も複数ある場合もあるということです。

そして本家と領主をまとめて荘園領主と呼びます。ちなみに荘園領主の中で直接荘園に関する作業を行うものを本所と言いました。だいたは本家がやるけど、めんどくさいから領家に任せるなんて場合も全然あるので一概には言えません。

寄進地系荘園の特権

寄進地系荘園のシステムは説明しました。じゃあ寄進すると具体的にどういうメリットがあるのかという話です。これは2つです。1つが不輸の権。税が免除になる権利でこれによって土地は不輸租田となります。

もう1つが不入の権。国司に派遣される役人、これを検田使と言うけど、この人の立ち入りを拒否できる権利です。とにかく国司にいちゃもんをつけられないようにする権利が認められました。

寄進地系荘園の具体例

初期荘園で道守荘を挙げたように、寄進地系荘園の例を覚えてください。今回は2つ、紀伊国桛田荘(かせだのしょう)と肥後国鹿子木荘(かのこぎのしょう)です。

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