院政期①〜北面の武士と八条女院領を設置した白河・鳥羽上皇の話

おじーちゃんの権威を利用して力を誇った藤原氏。この勢いを止めるためにパパが権威を持つ院政。後三条天皇が準備したこの制度が始まります。 今回はこの院政期の政治の前半部分をまとめていきます。

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院政期の主な出来事

北面の武士設置
八条女院領設置

白河上皇

1086年、白河天皇が息子の堀河天皇に譲位します。これをもって院政の開始となりました。前回も言ったけど、これまでも譲位して上皇になった天皇はたくさんいます。だから「白河天皇は最初の上皇になった」は間違い。

ここがちょっと分かりづらいところだよね。とにかく藤原氏の力を押さえて天皇家の力を維持することを目的に、しっかりと準備された上で上皇になる、これが院政であり、できたのが1086年でした。

後三条天皇が思い描いた院政とは、藤原氏の影響を受けない天皇を確実に即位させていくことを目標としたものでした。そのため、皇太子、つまり白河の次の天皇まで決めていた。

しかしこの後三条の想いは、さっそくこの白河で消えてなくなります(笑)。というのも、この人は誰よりも藤原氏出身の女性を愛してしまっていたんです。「だってしょーがないじゃん。好きになっちゃったんだもん」と。

そして後三条が決めた皇太子からその身分を剥奪し、藤原氏との間に生まれた子を皇太子にします。これが堀河。この時点で後三条の苦労はパァです。そして自分は直後に譲位し、上皇になって自由な生活に入ります。

天皇はさまざまなことを決めなきゃいけません。だから地味に仕事が多い。でも上皇であれば、自分がやりたいことだけをやればいい。そしてその意見が通る。院政のシステムを自分が好き勝手できる都合のいいものとして利用したのです。

北面の武士

このように、上皇はとてもフリーな立場でした。言いたいことだけ言ってあとは遊んでいられる、そんな羨ましい身分。特に引退後の白河は超がつくほどの女好きでした。いろんなところにお出かけしちゃいます。

そんなお出かけ好きのおエラいさんには当然ボディーガードが必要です。この新たに作られたSPを北面の武士と言います。天皇の警備をする人たちを滝口の武士と言いました。覚えてるかな?これの上皇バージョンになります。

この北面の武士の中に平氏の人がいました。平正盛(まさもり)と言って、後に有名になる清盛のじーさんです。この人が白河にとっても気に入られたことによって、平氏は成り上がっていく基礎を作ります。

この人が気に入られたのには、源義親の乱を鎮圧したことがありました。たまたま自分の近くで反乱を起こした奴がいて、それを叩いたら褒められたのです。さらにうるさい海賊たちを次々におとなしくさせたことも続き、一気に上り詰めます。

鳥羽上皇

白河上皇が亡くなると、次は鳥羽天皇が上皇になります。この人は堀河天皇が改名したわけではありません。堀河の子、つまり白河の孫になります。堀河は残念ながらけっこう早くに死んでしまった。

だから白河上皇の時代はほぼ鳥羽天皇の時期と重なっていると思って大丈夫です。鳥羽上皇の時期で覚えることは2つ。仕えた側近と、上皇の収入源として作った荘園です。

まずさっきやった平正盛、この息子の平忠盛(ただもり)が引き続き上皇の右腕として活躍します。具体的に何か大事件を鎮めたわけではないけれど、こちらも海賊たちを見事に討伐しつづけました。

もう1つ、土地制度で話したように、この時代は公地公民制がもう崩壊しており、天皇が使うお金ですら天皇が自分の荘園(=勅旨田)を持って捻出するという状況でした。

したがって上皇も自分の荘園を持ってお金を儲けていきます。鳥羽上皇のときに作られた荘園を八条女院領(はちじょうにょいんりょう)と言いました。

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