縄文時代①〜生活・交易・土器の話

縄文時代の話を2回に分けて話します。今回は「生活・交易・土器」編ということで、竪穴式住居とか貝塚とか、あるいは縄文土器といったことを中心にやっていきます。

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縄文土器

まずは縄文土器の話から始めます。というのも、旧石器時代に比べて縄文時代は分かっていることも多いので、それが縄文時代のいつ頃のものなのかが大事になってくる。そして土器の見た目がそれに対応しているのです。

縄文時代は全部で6つの時期に分かれます。草創期・期・期・期・期・期です。草創期はあとから「この時期は旧石器よりも縄文に分類した方がいいな」といって追加されたもの。

この草創期の土器は丸底土器と言いました。底が丸くなってるので、そのまま立たせておくことができず、わざわざ地面に埋めて使っていました。

これにはいろんなパターンがあって、豆粒文土器(とうりゅうもん)・隆起線文土器(りゅうきせんもん)・瓜形土器(うりがた)・無文土器(むもん)とあったら全てこの時代の土器のことを指します。

それから長い年月をかけて縄文人はあることに気づいちゃうんですね。「底を丸めないで尖らせておけば埋めやすくね?」と。ということで、早期の土器を尖底土器と言います。ここらへんは資料集で見ながら読み進めてください。

またまた長い年月をかけて、もっといいことを思いつきます。「そもそも底を平らにすれば埋める必要なくね?穴掘るのダルいよ」と。こうして前期になって平底土器が作られるようになりました。

だいたい7千年くらいかけてこの進歩(笑)

使いやすくなると、次に考えるのはデザインです。中期になると火を吹いているようなカッコいい火炎形土器が登場。デザインにも飽きると、また使いやすさを徹底します。注ぎやすいようにジョウロのような形をした注口土器が後期に生まれます。

そして晩期、この時期はもうそれぞれの個性の時代です。要はなんでもあり。固有の形をした土器がたくさん出てきました。代表的なものとしては亀ヶ岡式土器(青森)や夜臼式土器(福岡)などがあります。

縄文人の生活

次に縄文人がどんな暮らしを送っていたのかを、受験日本史で必要な範囲で見ていきます。押さえるべきポイントは3点、①どこで、②どんな家に住み、③何を食べていたか。

前回言ったように、旧石器時代は氷河期のクソ寒い時期でした。ただもう氷河期の終わりのシーズンです。つまり旧石器から次の縄文時代で一番変わったのは温かくなったことでした。

温かくなると2つの変化が起こります。緑が豊かになることと、海面が上昇することです。緑が豊かになると山を歩いていていろいろ食べるものを拾えるし、海面上昇によって海が身近になって釣りでもしてみるかって話になります。

それから環境の変化によって旧石器のころにいた大型動物たち、これが逆にいなくなってしまいました。食生活は豊かになったけど、やっぱり力をつけるには肉を食いたい。仕方がないのでデカくて遅い獲物から少し小さくて速い獲物に切り替えるのです。

この狩る・釣る・拾うことをそれぞれ【狩猟】【漁労】【採集】と言います。

狩猟のターゲットはシカイノシシです。こいつらを倒すのに尖頭器を使っていたのではとても追い付きません。そこで縄文人は弓矢を作り出しました。いくら必要だったからとはいえ、飛び道具を考案するってすごいよね。

続いて漁労の話。釣りをするには釣り針が必要ですが、動物の骨や角を使ってこれを作りました。骨角器と言います。特にヤル気のある人は漁船を作って沖で釣ります。木をくり抜いて作った丸木舟です。こんなのに乗る勇気、僕にはありませんが。

最後、採集について。気候が温暖になったことで、緑が増えました。寒い頃は針葉樹林と呼ばれる細い葉っぱの木が寂しくある感じだったのが、東日本では落葉広葉樹林が、西日本では照葉樹林がたくさん生まれたのです。

落葉広葉樹林ってのは、冬に葉っぱを落とす木です。秋は紅葉するのでモミジとかをイメージしてもらえればいいかな。もちろん種類はたくさんあります。逆に照葉樹林は1年中緑なもの。ツバキとかがよく見るものになるでしょうか。

こうしてたくさんできた森に縄文人は入っていき、どんぐりなどの木の実を集めていたのでした。

映画『紀元前1万年』

ちょっと余談だけど、『紀元前1万年』という映画を知ってるでしょうか。ハリウッド版ゴジラや『2012』など多くのSF映画を作ってるローランド・エメリッヒ監督の作品です。

右のジャケットを見てもらえれば分かるとおり、この映画にはマンモスがたくさん出てきます。ストーリーはノーコメントだけど、そのCGがなかなかすごい作品でした。

たしかに、約1万年前にマンモスがいたという言い方をよくされるし、実際にいつ絶滅したのかは分かりません。でも1万年前はもう縄文時代なので、受験生でいる間はこの頃はもういなかったと思っていよう。

縄文人は竪穴住居に住んでいた

ちょっとずつ生活が豊かになったことで、家も豪華になります。野宿だった人が最初に欲しかったのがたぶん屋根だったんでしょう。縄文時代に作られ始めた屋根付きのお家を竪穴式住居と言います。「式」はあってもなくてもOK。

竪穴ってのは、入り口が横じゃなくて上にあるという意味ではありません。地面を掘って高さを確保したということなので注意。屋根を高いところにつける技術がなかったので、仕方なく地面を掘って高さを確保した、そんなところです。

覚えるべき貝塚は4箇所

縄文人の暮らしに関するポイントの最後、縄文人が住んでた場所です。縄文時代の場合、この住んでた跡地が2種類あります。1つ目が前回と同じく遺跡。これは縄文時代のまとめ的な話をするので次回に回します。

もう1つが貝塚です。貝塚とは、早い話がゴミ捨て場。名前の由来は貝殻が分解されづらいので圧倒的にたくさん残ったからです。石灰は分解されにくいって前回言ったよね。もちろん他のゴミもちゃんと見つかってます。

大学受験生が覚えておくべき貝塚は4箇所あります。鳥浜貝塚(福井ー草〜前)・夏島貝塚(神奈川ー早)・加曽利貝塚(千葉ー中〜晩)・大森貝塚(東京ー後)です。カッコの中は場所と時期です。さっき話した6つの時代区分ね。

必ず名称・場所・時代をセットで覚えましょう。とりあえず古い順に並べています。ただし、4つの貝塚の中で特に大事なのは後ろの2つになります。

まず加曽利貝塚、これは国内最大の貝塚です。貝塚自体の形も特殊で、馬蹄型(ばていがた)に広がっていました。馬蹄は馬の足につける金具のことで、要はU字の形だってこと。国内最大で馬蹄形、この2つで反応できるように。

もう1つの大森貝塚。もう大事すぎて出ないんじゃないかレベルの重要さです。1877年にアメリカ人のモースによって発見されました。この人が「縄文時代」という名前をつけ、ここから日本の考古学がスタートする、そんな契機となったものです。

ちなみに、この人が書いた日記が「Japan day by day」。日本語に訳すと「日本、その日その日」といったところでしょうか。英語の方がカッコいいね。

縄文時代の交易

生活の次は、それを延長した交易の話です。今の日本じゃほとんどないけれど、昔は物々交換が当たり前だったことは知ってるはず。ある所でしか取れないものが別の所から見つかれば、その地域同士で交易があったことを証明できるんですね。

縄文時代の交易の証拠として考えられているアイテムが3つあります。黒曜石ひすいサヌカイトです。そしてこれらが取れる場所を覚えておかなければいけません。

まずは黒曜石。これが6箇所あって少し大変。十勝岳白滝(ともに北海道)・和田峠(長野)・阿蘇山(熊本)・姫島(大分)・腰岳(佐賀)です。この6箇所のものが、いろんなところから見つかりました。

黒曜石さえ頑張れば、あとの2つは余裕です。一箇所ずつしかないから。ひすいは姫川(新潟)というところ。姫島と混ざらないようにだけ注意。

そしてサヌカイト、これは讃岐の石をカッコよく言ってるだけです。さぬきうどんの香川県で取れるものが、奈良県の二上山で発見されました。

今回はここまで。次回は磨製石器や信仰の話、そして遺跡についてをまとめていきます。

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