弥生時代①〜稲作と金属器の話

弥生時代です。紀元前3世紀ごろ、長かった縄文時代が終わって弥生時代がやってきます。この時代も2回に分けて話します。

この時代の大きな特徴は2つ、稲作が始まることと、金属器が使われることでした。今回はこの2つについてをまとめます。

スポンサーリンク

稲作の開始

弥生時代になって、今でも日本人の主食であるコメの栽培が始まります。とは言っても、前回遺跡のところで述べた通り、正確には縄文時代の終わりから始まっていて、本格化したのがこの弥生時代です。

稲作が始まったのは中国の影響によるものでした。中国では紀元前2世紀に初めての統一王朝である秦(しん)ができます。つまりこの時期にはかなり立派な文明ができあがっていたのです。

ここらへんの話はたくさん映画があるので、何か見ればすぐにイメージが分かります。

僕はジャッキー・チェンによる『THE MYTH / 神話』を見ました。人気だったため、ドラマ化もされています。

で、その進んだ文明を持つ中国人がちょっとずつ日本へと渡り、さまざまな新しいものを伝えてくれたのです。

ただまあ、それが爆発的に増えるのは次の古墳時代。弥生時代ではまだ稲作と金属器ぐらいでした。「ぐらい」とは言っても、この2つだけでものすごいインパクト大だけどね。

弥生時代前期と後期の違い

長かった縄文時代と違い、弥生時代はだいたい600年ほどしかありません。したがって弥生時代は前期と後期の区別で十分。その中でも稲作はずいぶんと進化を遂げました。

まず後期の話からします。というのも、後期の稲作は今とほとんど変わらないため、イメージが湧きやすいのです。その後で「前期はこんなショボイやり方をしてたんだぜ」って話した方が絶対に分かりやすいから。

弥生時代後期の稲作

現在、水田は川から水を引っ張ってくる灌漑設備というものを持っていて、それを止めると田んぼはカラカラになります。だから稲作をしてない冬とかはほとんどの水田は干上がった感じになっているはず。弥生時代後期もそんな感じでした。

このようなもともとは乾いている田んぼのことを乾田(かんでん)と言います。そこを鉄でできた鍬や鋤(鉄鍬鉄鋤)で耕し、5月ころになると田植え、そして秋には鉄の鎌(鉄鎌)で収穫をするのです。

機械がないこと以外は今と同じでしょ。余談ですが、稲作なんて全く知らないよ!って人は、ぜひ大学生になったら農業体験みたいなのをしてみてください。

弥生時代前期の稲作

それが前期では、そもそも灌漑設備がなく、でも稲作には水が不可欠なので、もともとビチョビチョな土地を使いました。これを湿田と言います。そして耕作に使う道具は全て木製農具です。

土を耕すのには木鍬木鋤を使いました。踏み込んでいくとズブズブ沈んでしまうので、それを防止するために田下駄というアメンボみたいな履物をはきました。

田んぼ自体はえぶりでならしていきます。野球部が使うトンボみたいなものです。それから大足というブーツで肥料を土の奥深くへと踏み込んでもいきました。

そして種もそのまま播いてしまいます。直播(じかまき)です。それを最後、石包丁で先端のところだけ刈っていく、穂首刈りという形で収穫をして終わりです。

このように、実際にコメを育てる部分では前期と後期で明らかな進歩が見られました。ただ、そのあとの脱穀(=イネから米粒を取り出すこと)と、それを保存する方法、この2つはあまり変わっていません。

脱穀には木臼竪杵(たてぎぬ)という道具が使われました。そして保存は貯蔵穴という洞窟みたいなところや高床倉庫で行われます。わざわざ床を高くしたのは、下を空気が抜けることで湿気が取れることと、ネズミ対策です。

中国から伝わった=九州からスタート

稲作は中国から伝わったよ!ってところに話を戻します。このころはいきなり東京にくるなんてことはあり得ないので、最初は九州に伝わりました。そこから徐々に東へと伝わっていきます。

スゴいなって思うのは、前期のうちに本州最先端の青森まで伝わってしまったことです。次回遺跡のところでまた出すけど、砂沢遺跡というところでそれが証明されています。

一方、中国から日本までは頑張ったのにもかかわらず、日本に来てからは海を渡ることに苦労しました。北海道と沖縄には長い間伝わらなかったのです。

だからこの2つの地域はまだ完全に縄文時代の生活を引きずっています。弥生時代の北海道の文化を続縄文文化(しょくじょうもんぶんか)、沖縄の文化を貝塚文化あるいは南島文化と言いました。

金属器の使用

弥生時代の特徴のもう1つが金属器でした。金属器とは鉄器青銅器を合わせた言い方。鉄器は農具で出てきたように、実用的なものとして使われました。一方、青銅器は装飾品として祭器として使われたものです。

祭器と言われてもあんまりピンとこないけど、オマジナイの儀式に使われるもので、前回話した呪術アイテムの弥生バージョンと思っておきましょう。ただ、土偶みたいな人形ではなく、武器の形が多いのがこの時代の特徴です。

覚えてほしい青銅器は4つ、銅鐸(畿内)・銅剣(瀬戸内/北九州)・銅矛(北九州)・銅鏡(各地)です。それぞれ「どうたく」「どうけん」「どうほこ」「どうきょう」と読みます。鐸は盾のことで、矛はヤリのこと。鉾と書くこともあります。

銅剣だけちょっと補足をすると、2箇所で出土したものはそれぞれ形が違いました。瀬戸内で見つかったのは平形銅剣といって、切るところが幅広いもの。一方、北九州で見つかったのは細形銅剣。シュッとした感じのものです。

以上が弥生時代の前半戦。2大特徴の話でした。

スポンサーリンク