古墳時代①〜前期・中期・後期の古墳の特徴

古墳時代に入ります。古墳というのはでっかい墓のこと。弥生時代と飛鳥時代の間の時期にこれがたくさんできたので、時代の名前になりました。

古墳時代の末期にはもう聖徳太子が生まれます。気づいたらもうそんなに文明が発達してるんです。ただ前回も言ったように、ここではあまり人を登場させずに、見つかったモノ中心の話をバーっとしていきます。

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古墳の特徴

古墳時代は古墳の特徴から【前期】・【中期】・【後期】の3つに分けます。古墳時代がいいのは、それがだいたい【4世紀】・【5世紀】・【6世紀】のことと言ってしまっていいことです。

しかもここまで旧石器・縄文・弥生と3つの時代を見てきて、それに続く古墳時代は4・5・6世紀の話だよってつながるのは分かりやすくないですか?

では、それぞれの時期の古墳がどんな特徴を持っていたのか、これを【形】【石室】【副葬品】【埴輪】【代表例】の5つに分けて話をしていきたいと思います。代表例はまとめてやるので、まずは4点の整理から。

前期の古墳

前期の古墳は前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)という形をしていました。丸と台形がくっついたような形をした、「The 古墳」という感じのするものです。

石室

石室は実際に遺体が安置された部屋のことだけれど、前期のころは竪穴式石室でした。これは遺体を運び込むための入り口が天井についているもので、底に安置したあと、石を詰めまくって最後にでかいのをかぶせます。

また、前方後円墳は大変なので、一番偉い人にしか作らないけれど、No.2の人にもそれなりのものを作ってあげていました。それが粘土槨(ねんどかく)というもの。棺を粘土でしっかりとコーティングしたものです。石室はありません。

副葬品

これまでにお葬式に参列したことはあるでしょうか。いろいろなパターンがあるので、絶対とは言わなけれど、故人が好きだったものを入れ、最後にたくさんのお花で埋めるという形式が多いと思います。

この故人が好きだったものに当たるのが副葬品。簡単に言えばエラさを証明するアイテムで、銅鏡などの呪術に使う祭器がほとんど。代表例として三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)を押さえておきましょう。

埴輪

それに対して「花」に当たるのが埴輪です。鬼のようにたくさん詰めて、お墓自体を豪華な感じにするもの。最初の頃はよくろくろ体験で作るペン立てのようなもの、円筒埴輪(えんとうはにわ)ばかりでした。

中期の古墳

中期というのは、当たり前だけど前期と後期の間の時期のこと。なので、前期と似たような部分も、後期と似たような部分も持っています。具体的には【形&石室】は前期と同じ、【埴輪&副葬品】は後期と同じなんです。

ということで、中期の古墳の形は前方後円墳が基本、そして石室はおエライさんが竪穴式石室で、それ以外は石室なしの粘土槨と言われる形の古墳となっています。

それに対して副葬品と埴輪。弥生時代の金属器のところで、鉄器は実用的なもので、青銅器は儀式に使う呪術的なものという話を覚えているでしょうか。副葬品の変化についても同じことが言えます。

前期の副葬品は呪術的なものだったと言いました。それが中期以降になると実用的なものとなっていきます。具体的には武具とか馬具とか。弥生時代に始まった戦いが、この時代になるとより本格化してくるので、こんなものがあるのです。

注意してほしいのは、豪華なのは圧倒的にこの中期以降の副葬品だということです。三角縁神獣鏡の写真とかを見るとこっちの方が高そうと思うこともあるんだけど、それは間違い。中期以降では金銀が平気で使われています。

埴輪もだいぶ進歩が見られます。いろんなものを作る技術力がついてきたとき、人間や争いに使った馬の形を作ってみたってなりました。こういう何か具体的なものをかたどった埴輪を形象埴輪(けいしょう)と言います。

では、中期の代表的な遺跡です。何でもそうだけど、物事にはピークってものがあります。だんだん人気が出てきてピークを迎え、だんだんと飽きられていく。古墳も同じで、この中期こそがでっかい墓の人気のピークでした。

だから古墳と聞いてイメージするデカい墓、それはほとんどこの中期のものとなります。特に代表的なものが2つ、大仙古墳(だいせん)と誉田御廟山古墳(こんだごびょうやま)です。

どちらも古墳の前にお墓という意味の「陵」がついていることもあります。それから大仙古墳は昔は大山古墳だったし、誉田御廟山古墳は御廟山を省略することも多々ある。そこらへんはいろんなパターンがあります。

まず大仙古墳、これは圧倒的によく写真に使われる代表的古墳です。仁徳天皇という人の古墳とされ、大阪府堺市の百舌鳥古墳群(もず)というところにあります。漢字3字で「もず」と2音で読む、とてもめずらしい読み方。

それから誉田御廟山古墳、こちらは応神天皇の古墳とされていて、こちらも大阪府は羽曳野市(はびきの)の古市古墳群(ふるいち)というところにあります。どちらもとっても大事なので、こうして場所までしっかり覚えましょう。

ここでまた注意してほしいことがあります。今言ったように、デカくて代表的な古墳はやっぱり近畿地方が中心です。ただ、さっき言った形象埴輪、これは新しい技術が必要なので、中国に近い九州の方が進んでいました。

「(形象埴輪は)近畿地方で発展した」とあったら×だから気をつけて。以上で中期の話は終わります。

後期の古墳

最後、後期の古墳です。さっき言ったように、副葬品と埴輪については中期と同じもの。実用的で豪華なものが副葬品になっていたり、人間や馬の形をした埴輪が出ています。ただ、形や石室が全然違うので、それを中心に押さえよう。

まず形。もう人気に陰りが見えてるこの時期は、サクッと作れる簡単なものが流行ります。ただ丸い形をした円墳です。もちろん前方後円墳も含めた他の形もあるけれど、基本はこの円墳と覚えておきましょう。

それから石室の話。こちらは竪穴式から横穴式石室へと代わります。これは棺を完全に埋めてしまう竪穴式と違い、中に遺体を安置する部屋を大きめに作り、そこへの道も作って入り口だけを簡単に閉じたもの。

そこだけちょっと掘ればすぐに中に入ることができて、後から奥さんとか子どもとかを追葬できるようにしました。そうすればわざわざ新しい古墳を作る必要もないしね。真ん中に作った遺体安置部屋を玄室(げんしつ)と言います。

と、ここまで言っても、そんな形をしているいかにも古墳っぽい古墳ってのが実はあんまりありません。強いて言うなら飛鳥時代で登場する蘇我馬子の古墳、石舞台古墳くらい(そのときにまた言います)。

ここで覚えておきたい古墳ってのは、有力農民みたいなちょっとだけエライ人たちが軒並み作った超簡単なものばかり。群集墳と言って、山とかに蜂の巣ように穴をあけたものです。まあたしかに横穴式ではあるけど。。。みたいなね。

その中でも特に有名なのが埼玉県にある吉野百穴。本当に山にボコボコに穴をあけた感じです。それから和歌山の岩橋千塚と奈良県の新沢千塚古墳群。前者は「いわせせんづか」と読むのが注意点です。

あとは最後、石室に中国っぽい壁画が残ってたことが有名な福岡県の竹原古墳。重要度としては微妙だけど、この4つを後期の古墳として覚えておきましょう。

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