飛鳥時代②〜中大兄皇子前編、皇極・孝徳天皇の話

飛鳥時代の2回目です。今回のキーパーソンは中大兄皇子。長くなるので皇太子の時代と天皇の時代の2回に分けます。今回は前編、皇太子として裏で暗躍する時代の話となります。

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皇極・孝徳朝の主な出来事

645乙巳の変by中大兄皇子&中臣鎌足
〈645〉年号を大化とする(最初の年号)
〈645〉古人大兄皇子を滅ぼす
646改新の詔:律令体制樹立への基本方針を表明
〈646〉薄葬令
〈647〉渟足柵設置@新潟
〈648〉磐舟柵設置@新潟
〈649〉蘇我石川麻呂の変

皇極天皇

舒明天皇が亡くなると、奥さんが天皇になりました。皇極天皇、推古に続く2人目の女帝です。そしてこの時代の中心人物の1人である中大兄皇子のお母さんでもあります。

舒明パパが亡くなったら、次は息子がなるのが普通のことでしょう。ただ中大兄皇子は当時、裏で暗躍する役割を担っていたので即位できませんでした。でもいづれはならなきゃいけないので、ひとまずお母さんがつなぎをしたのです。

では中大兄皇子がしていた暗躍とは何なのか。前回までに朝鮮半島では新羅が力を伸ばしていたり、中国に唐ができたことを話しました。この唐という国は世界で3本の指に入るくらいの大国です。

この時代の日本は、一歩間違えばこの超大国に侵略される、危ない位置にありました。だから後に頑張って明治維新を行ったように、天皇を中心とした中央集権国家を急いで作っていたのです。それが中大兄皇子の役目。

乙巳の変

そんなときに聖徳太子の1人息子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)が蘇我氏に暗殺される事件が起こります。犯人は馬子の息子の蘇我蝦夷(えみし)とその子の蘇我入鹿(いるか)。

蘇我氏が圧倒的な権力を握るために、親父と肩を並べた聖徳太子の息子を滅ぼしたのです。

もちろん中大兄皇子はブチ切れます。イチ豪族が権力を握ろうとしたら、中央集権どころじゃなくなってしまう。そこで中臣鎌足(なかとみのかまたり)と協力して入鹿を暗殺します。

今じゃ考えられないけど、皇太子自ら自分の手で斬ったみたいですよ。すごい!

これに驚いた蝦夷は自分の家にこもって火を放ち、自殺しました。この入鹿・蝦夷親子が滅んだ事件を乙巳の変(いっしのへん)と言います。645年のこと。細かいけど「蝦夷を暗殺した」となると×なので気をつけましょう。自殺だからね。

ちなみに中臣鎌足って誰?って話ですよね。中臣氏は、物部氏と同じく大和政権で軍事を担当している一族でした。軍人と官僚はライバルで、物部氏と同じく蘇我氏にはいなくなってほしいと思っていたわけです。

うるさい奴らがいなくなり、これから新しい国作りになります。当然リーダーとして引っ張るのは中大兄皇子。皇極天皇は天皇の座を息子に引き継ごうとしました。生きている間に天皇を辞めるのはこの皇極天皇が初です。

ただ、裏でやらなきゃいけないことがまだまだあるんだ!と言って中大兄皇子はこれを拒否します。たしかに、場合によっては殺人もしなきゃいけないわけで、天皇になってしまったら、それが極端に難しくなる。

そこで代わりに推薦したのが次の天皇、孝徳天皇でした。中大兄皇子にとっておじちゃん、皇極の弟です。 「え、マジ?俺でいいの?やったー」と言って気持ちよく即位してくれました。

孝徳天皇

ということで、孝徳天皇が即位します。天皇になったとはいえ、それを牛耳っているのは中大兄皇子。孝徳自身も天皇になれただけでラッキー、中大兄皇子に対しては何でも「どーぞどーぞ」の状態です。

なのでここで話す内容は全て、中大兄皇子がやったようなものと考えてください。

新しい国作りとしてやったのは①政権の決定②新しい方針の説明③邪魔なものの排除の3つでした。 首相が新しくなったらこんなことをするよねって思いながら読むと、あまり違和感がないと思います。

政権の決定

新しい首相が誕生すると、最初に閣僚を決めます。今は官房長官・外務大臣・経産大臣…と決めていくわけですが、ここで決められたポストは5つ、全6人でした。

皇太子が中大兄皇子内臣(うちつおみ)が中臣鎌足、左大臣に阿部内麻呂、右大臣に蘇我石川麻呂国博士高向玄理でした。最後の2人は遣隋使から戻ってきた2人。南淵請安はすでに亡くなっていて参加していないので注意。

かわいそうなので少しだけ功績について触れると、中大兄皇子と中臣鎌足に中央集権国家のこと、あるいはその必要性を教えたのが南淵請安です。2人は請安の塾に通っていました。

もう1つ注意が必要なのが、阿部の字です。「あべさん」は阿部・阿倍・安倍・安部の4パターンがあって、日本史では全部出てきます。どこかでまとめるけど、とにかくこの名前は漢字に注意してください。

あと、こうして閣僚を決めるのは今回が初です。それに合わせて大きい都が必要でした。難波長柄豊碕宮(なにわながらのとよさきのみや)です。首相官邸と国会がくっついたようなものかな。「碕」の字に注意。

もう1つ、スタート記念に年号を導入します。今は「平成」だけど、この時期に作られた最初の年号を「大化」と言いました。

新しい方針の説明

閣僚が決まって内閣が発足すると、次に待ってるのは首相就任演説です。今後日本をこれこれこのようにしていきますという宣言をしました。これに当たるのが改新の詔です。

これまで日本は天皇が偉いとは言っても、まだまだ各国はその地域の豪族が仕切っていました。それを日本は全体としてジャパンなのであり、その中心には天皇がいる、中央集権体制にしていくよという内容でした。

これを律令体制と言って、中国ですでに行われていたものです。内容については覚えることが多いので、律令制度として別にまとめます。

邪魔なもののお掃除

最後に邪魔なもののお掃除です。安部首相が憲法改正を目指していたり、橋下元市長が大阪都構想を目指したように、トップになると改革を行います。「もの」とひらがなで書いたのは物と者の両方があるから。まず「物」からいきましょう。

受験日本史では、継体天皇以降になると「○○天皇のときに□□があった」という説明になります。ただ、用明天皇までは時代区分として古墳時代です。つまり古墳時代の最後らへんからはもう飛鳥時代っぽい雰囲気で説明されます。

一方、前回馬子の古墳を紹介しました。つまり古墳時代が終わっても古墳は作られたんです。それがここでまず消滅します。あんな大きなものは邪魔なので、「○○以上でかい墓は禁止」という規制ができました。薄葬令です。

次に人のお掃除。この時期、邪魔な人間が2人いました。その1人が古人大兄皇子(ふるひと)です。実はこの人、中大兄皇子の兄貴です。お母さんが違うんだけど、舒明天皇の第一皇子には間違いありません。

天皇になる気マンマンだったのに、権力を弟に取られてしまってブチ切れていました。当然中大兄皇子にとってキレた兄ちゃんは脅威です。だから無実の罪を着せて滅ぼしてしまいます。時間軸的には改新の詔が出る前のこと。

もう1人の邪魔な人は、個人じゃなくて東北地方一帯にいた外国人たちです。蝦夷(えみし)と言いました。蘇我蝦夷と同じ字だけど意味が全く違うので注意。

この人達を服属させて日本全土をジャパンにする一大プロジェクトが始まります。その前線基地が置かれたのがこのころ。648年に渟足柵(ぬたりのき)と翌年の磐舟柵(いわふねのき)が作られました。共に今の新潟県です。

孝徳朝の最後

一応、これで国作りの準備は完了。あとは律令制度の仕組みをどんどん整備し、蝦夷を倒すことができれば強い日本になっていくはず。でも、何か順調にいきそうだなと思うと次の課題が出てくるのが世の常。

右大臣にした蘇我石川麻呂と孝徳天皇の2人との関係が悪化してしまいます。もともと石川麻呂は入鹿らを倒すために引き込んだ存在。すでに用がなくなっていました。だから反乱を起こすように挑発し、結果自害に陥れます。

そして孝徳天皇。こちらはちょっと天皇っぽいことをしたくなってきちゃったんです。天皇でいることが気持ちよくなっちゃった。だんだんと上から目線で話しかけてくるようになります。

この態度にイラッときた中大兄皇子は孝徳天皇を置き去りにして勝手に都を移してしまいました。強すぎる。しかも同時に孝徳天皇に嫁いでいた妹も連れて来てしまいます。

欲を出したら何もかもを奪われてしまって涙目な孝徳天皇。寂しさからか数ヶ月もしないうちに病気になって亡くなってしまいます。これにて孝徳天皇の時代、終了です。

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