飛鳥時代④〜弘文・天武天皇の(教科書とは違う)話

飛鳥時代の4回目。キーパーソンが変わって天武天皇の話です。天武天皇の話だけど、メインは天智から天武への交代のところ。教科書とはちょっと違う話をしていきます。

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弘文・天武朝の主な出来事

672壬申の乱
〈681〉飛鳥浄御原宮令制定
〈681〉帝紀旧辞の再編纂命令
〈683〉富本銭
〈684〉八色の姓
〈685〉冠位四十八階

弘文天皇

天智天皇が亡くなると、誰が次の天皇になるかで争いが起きます。息子の大友皇子vs他の人という戦い。結果的にはこの大友皇子が負けてしまうんだけど、戦いの最中は天皇がいないということで、一応天皇になっていたと言われています。

この戦いが壬申の乱です。672年のこと。なので弘文天皇の時代=壬申の乱の間とだけ理解してくれればOK。教科書ならサクッと終わらすところなんだけど、僕はここの出来事をしっかり話したいと思います。

壬申の乱

壬申の乱で大友皇子が戦った相手は大海人皇子(おおあま)という人です。教科書では天智天皇の弟ということになっていて、だから壬申の乱っていうのは、亡き天皇の息子vs亡き天皇の弟の内乱ということになっている。

ただ、これは本当は違うのではないかという説があって、僕もそっちを信じています。大海人皇子は天智天皇の弟ではなく、そもそも天智天皇はこの大海人皇子によって暗殺されたという説です。

天智朝の復習

この話をするにあたって、簡単に前回話した天智天皇の時代の話を復習しておきましょう。ここを「ふんふん」と頷きながら読めるようであれば先に、「なんだっけ」と思うようなら復習を先にしてください。

中大兄皇子時代も含めた天智天皇のころ、朝鮮半島は新羅・唐連合軍vs百済で争っている状態でした。そこに日本も加わります。新羅も日本も「唐が怖い」という共通の想いを持ちながら、それぞれが立場を考えた結果こういう構図となりました。

新羅が唐と組んでたのは唐の挟み撃ち作戦に参加することで、その場を乗り切ろうとしたため。そして日本が白村江の戦いに打って出たのは、とにかく朝鮮半島に親日の独立国を作ることで、唐が日本に来るのを防ぐためでした。

大敗を喫した日本、っていうか天智天皇は一気にビビリになり、唐が攻めてこられないように徹底的に国土の防衛を図りました。ただ、それには大金が必要。そこで庚午年籍という戸籍を作って、税金を確実に徴収するシステムを作ります。

天智朝の補足

この前回の説明に対して、少しだけ補足をします。というのも、庚午年籍が作られる少し前に、ついに唐vs新羅が始まるのです。いずれこうなるのはみんな知ってること。予定通り攻めた唐と、それを見据えて動いていた新羅の戦いです。

すると、今度はこの両国が日本に対して支援を求めてきました。以前の新羅のように、挟み撃ちのパートナーになってもらいたい唐。以前の百済のように後方支援をお願いしたい新羅。

この2つのオファーに対して、天智天皇は唐のパートナーになることを選びました。もうとにかくビビっちゃって、唐の言うことは全て受け入れますよ状態になっていたからです。

ただ、それに対して「そんなことしちゃダメだ!」と強く訴えた人がいました。この人こそが後の天武天皇、大海人皇子です。この人が本当は何者なのかは分かりません。その点については後で言います。

唐が強いからこそ日本には間違いなく前にガードが必要なのであり、今の新羅はだいぶ強くなったので必ずその役目を果たすことができると大海人は主張します。事実、後に新羅は唐に勝って朝鮮半島から追い出すことに成功するんです。

単なるケンカに聞こえるけれど、実際は国の命運を左右する話。こんな対立がある中で、天智天皇はある日、遊びに出かけた先で行方不明となり、そのまま帰ってくることはありませんでした。天皇が行方不明とかありえないでしょ。

遊びに行った先というのが、大海人のお友達が支配していた地域。あとで天武が天皇になったと同時にこのお友達はすごい昇進を遂げています。天智が大海人(orその仲間)によって暗殺されたというのは、こういった状況からの推理でした。

壬申の乱の経緯

天智を消したところで、その意思を継ぐ息子が次の天皇になったのでは意味がありません。そこで大海人皇子は大友皇子を倒し、自分が天皇になることを画策します。さっきも言ったように、この戦いが壬申の乱です。

このとき大海人皇子は吉野というところを根拠地としていました。そこから大友皇子がいる近江まで、途中で多くの仲間を得ながら攻めていき、最終的には圧勝します。壬申の乱の内容としては本当にこれだけです。

ただ、なんで多くの人が大海人皇子の仲間になったんでしょう。大伴氏のようなデカい豪族も参加していました。天皇が明らかにおかしな消え方をし、あきらかに犯人が分かっているのに、それでも見方するのは普通おかしな話です。

これがさっき庚午年籍まで復習しておいた理由です。当時は民主主義もクソもないので、朝鮮への出兵は中大兄皇子が独断で決めたこと。勝手にやって勝手に負け、ビビって税金を上げたのです。そりゃみんなキレてるよね。

天武天皇

天智のままでは日本ヤバい!と思い、自分が天皇なることを強行した天武。きちんと良い政治を行うことと、自分が天皇になったのは正しいことなんだって話を強引に作り上げること、この2つに奔走します。

飛鳥浄御原宮にて皇親政治

天智天皇は皇太子時代に都を飛鳥から難波に移しました。これを飛鳥に戻します。浄御原宮(きよみはらのみや)です。そして全ての権力を一度自分に集中させるために、大臣を置かずに身内を要職につけます。皇親政治と言います。

天皇の神格化と天皇号の使用

天武政権を整えたところで、次に天皇というポジション自体を強いものにします。これを天皇の神格化と言い、「天皇っていうのは人間でありながら神なんだよ。だから僕が天皇でいるのも正しいことなんだよ」と宣言します。

今「天皇」って普通に言ったけれど、実はこの言葉自体、天武のときに初めて使われたものです。昔は「大王」と呼んでいたわけでしょ。これが「天皇」に変わったのがこの時期。

ちなみに天武とか天智とか推古といった、◯◯天皇の◯◯の部分は全て後からつけられたものです。平安時代の人が、歴代の天皇に名前をつけて区別することを始めたんです。

帝紀・旧辞の再編集命令

次に、自分の身分を偽るために今までの歴史書を全部書きなおさせるということを始めます。この時期、『帝紀』という天皇の系譜をまとめたものと、旧辞という歴史的事実の記録がありました。誰が作ったかは分かってないんだけどね。

これを徹底的に作りなおさせるのです。これが最終的に形になったものが日本書紀などで、これに大海人皇子は中大兄皇子の弟と書いてあるから教科書ではそういう説明になっている。

でも他の記録、たとえば個人の日記とかでは全く違うことが書いてあるために、大海人皇子は弟ではない、有力者ではあるけれど天皇家とは他人であるという説が強く言われているのです。

教科書とは違うことを結構言うと思うけれど、その方が流れを理解する上で納得感が持てませんか?とは言っても、大学受験で失点につながるようなことは一切言いません。その点はどうかご安心を。

そして受験が終わったら、ぜひ『逆説の日本史』をざーっとでいいので読んでみてください。今回の話も含めて、この講義のかなり柱になっている本です。

シリーズもので長いけど、今回の話が載ってる2巻だけでも結構歴史の見方が変わると思いますよ。

官僚制の構築

では、天武天皇が行った政治の中身です。天智天皇が作りかけて途中からおかしな方向にいってしまった律令制度。これを作りなおすことをします。特に人の評価システムを変えました。

飛鳥浄御原宮令の制定

まず天智天皇が作った法律を近江令と言いました。これを天武的なやり方に変えたものが飛鳥浄御原令です。内容は次回やる大宝律令とほぼ同じくらいに思っていてください。

八色の姓と冠位48階

聖徳太子が冠位十二階を作ったことで、個人を評価する基準ができていました。でも、「戦いのことなら大伴ファミリーが強い」みたいに家柄的な話は古代から変わらず続いていたのがこの時代。

そんな昔からの制度を骨抜きにしたものを八色の姓といいます。「やくさのかばね」と読むよ。今まで1番強かった「臣」「連」の上に新たに4つの姓を作り、今後整備する律令制度で使いたい人にそれを与えたのです。

嫌いなやつから位を剥奪することは難しいけれど、もっとエラい位を作って「あんまり活躍してないから昇進はさせてあげられないな」って言う。頭いいよね。こうしてできる奴だけを拾っていく仕組みを使ったのです。

「8」とあるのは、全部で8つの姓に改変されたから。真人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・稲置(いなぎ)の8つ。必ず順番通りに覚えてください。

覚え方は簡単。実は道師以降の4つは実際には使われなかったので、最悪覚えなくても大丈夫。8つって言われると辛いけど、4つなら「まあすくねー!(まぁ、少ねい)」って思えるでしょ。

そして個人の能力を評価する冠位十二階、実はこれは度々細かくなって19とか26とかになっていました。それがこの天武天皇の時期に48階にまで増えているのをちょっと覚えておいてください。数字で書く理由は分かりません。

富本銭鋳造

最後、この時期に富本銭というお金が作られました。ただ、何に使われたかといった詳しいことはまだそんなに分かっていません。奈良時代に出てくる和同開珎の方がよっぽど大事なので、ここでは「へえー」くらで大丈夫。

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