平安時代⑥〜藤原道長と頼通による藤原氏最盛期の話

飛鳥時代以降の政治で初めて、タイトルから天皇の名前を外しました。ライバルを全て排除した藤原氏があまりにも強すぎて、もはや天皇とかどうでもいい時代になってしまった、藤原氏の最盛期のお話です。

まさに富の全てが藤原氏の手にあった時代。ドロドロのトップ争いがある一方、栄華を極めた人たちの遊びはとても美しく、結果的には枕草子や源氏物語といった大作ができたのがこの時期です。

受験日本史ではあまり重要じゃないけど、受験が終わってから知るのは相当面白い、少なくとも僕は大好きな時期です。

中心人物は藤原道長と頼通。一応この頃の天皇は、花山・一条・三条・後一条・後朱雀・後冷泉となります。

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藤原全盛期の主な出来事

〈996〉藤原伊周を太宰権帥に左遷
1019刀伊の入寇:太宰権帥藤原隆家が撃退
〈1022〉法成寺建立、「御堂関白」と呼ばれる
1028平忠常の乱@上総
1051前九年の役@陸奥
〈1053〉平等院鳳凰堂建立@宇治

花山・一条・三条前半

藤原道長の時代です。結果的にはこの世の全てを手に入れた男ですが、もともとは摂政藤原兼家の5男であり、道隆(みちたか)という超イケメンの兄がいたために目立たない存在でした。

ここからありとあらゆる手を使って上に成り上がっていきます。

その最後が道隆の子ども、藤原伊周(これちか)と藤原隆家(たかいえ)を太宰権帥に送ったことでした。同じ藤原氏なので、他氏排斥事件には普通含みません。というか、事件の名前も特にありません。

伊周・隆家の2人は関白の道隆の子であり、2人の真ん中に生まれた定子(ていし)は中宮として一条天皇の寵愛を受けていた人。普通なら間違いなく伊周がトップになるはずなところを、見事(?)に道長がひっくり返したのです。

こうしてもともとは内覧というポジションだった道長が摂政となり、最終的には太政大臣にまでなります。もう全てを手に入れちゃったものだから、調子に乗りまくります。

京都に法成寺(ほうじょうじ)というでっかいお寺を作り、「いやー困ったなぁ、もう手に入らないものとかないんじゃね」という、とてつもなく図々しい詩を詠います。『望月の歌』です。

この様子から、道長は御堂関白(みどうかんぱく)と呼ばれました。実際には関白になってないのに注意ね。 内覧摂政太政大臣です。

ちなみに一条天皇に愛された定子が「この人面白い!」と思って近くに置いた女性、これが清少納言でした。

この定子の愛されている姿に焦った道長は自分の娘も天皇の妃にします。それが彰子(しょうし)で、このお手伝いだったのが紫式部でした。2人は立場は同じだけど派閥が違う、そんなところです。

刀伊の入寇

伊周を飛ばしてから法成寺を作るまでの間に、日本は外国から侵略を受けます。1019年、刀伊の入寇(といのにゅうこう)です。中国は満州の方に女真族(にょしんぞく)と呼ばれる人たちがいました。この人たちが襲ってきたのです。

刀伊はこの女真族の別名。 結果的には太宰権帥で先ほど出てきた藤原隆家が超ファインプレーでこれを撃退します。覚えてるかな?この時代は軍隊がないんです。近くにいた武士を何とか使ったり、マジで大変だったはず。

ちなみにさっき隆家は道長によって流されたと言ったけど、本当は違う所に流されていました。ただ、その後に「この国は軍隊がなくて危ない!」と言って太宰権帥に自ら希望して行ったのです。顔も中身もとてもイケメン。

もちろん道長の顔色を伺って誰も「彼はスゴい!」なんて言えず、だから評価されなかったんだけどね。

三条後半・後一条・後朱雀・後冷泉

続いて息子の藤原頼通のお話。道長が政治としては何もしていないように、この人も特に目立ったことをしていません。ただし、摂関合わせて50年もやってました。どんだけ遊んだんだよ。

平忠常の乱

これで国がよくなるはずがないじゃないですか。だから反乱が起こりました。1028平忠常の乱。平将門以来の大規模な反乱です。姓も同じ平氏だし、場所も上総と似たようなところで起こっています。

これを押さえ込むのに3年もかかりました。最終的には有力武士の源頼信という人が鎮圧しています。高明(嵯峨源氏)とも満仲(多田源氏)とも違う、清和源氏という別系統の源氏です。

前九年の役

もう1件反乱が起きます。今度は東北地方。1051前九年の役です。昔、東北地方には蝦夷と呼ばれる人たちがいました。阿倍比羅夫や坂上田村麻呂、文室綿麻呂といった人たちがそれをバッサバッサ蹴散らしていたのは大丈夫でしょうか。

その結果として服属した蝦夷のことを俘囚(ふしゅう)と呼ぶんだけど、その中にに安倍氏という一族がいました。「あべ」さん。久しぶりだけど漢字を必ず確認ね。

服属しても当然差別は受けていたわけで、このタイミングで反乱を起こします。平忠常は3年だったけど、今度は51年から62年までという超長い戦いでした。なので最初は安倍頼時、後半は安倍貞任(さだとう)という世代交代も起こっています。

これを鎮圧したのが源頼義源義家。こっちも親子です。ちなみにさっき登場した頼信の子と孫。そしてこの子孫として登場するのが、あの頼朝です。いわゆるみんなが知っている源氏は、ここから力をつけてくるのです。

それから、この戦いでは出羽国、東北地方の日本海側を支配していた清原武則という人の力を借りています。これについては次回また出てくるので、誰やねんという説明はそのときに。

藤原氏の衰退

このように、頼通は自分では特に何もせずに、人生の後半で平等院鳳凰堂なんか作っちゃったりして優雅に暮らします。はっきり言ってムカつくよね。何かバチ当たれよと思ってしまいます。

当たるんですよ。娘に誰一人として男の子が生まれなかったんです。藤原氏は天皇の外祖父という立場で好き勝手やっていました。天皇のおじいちゃんとして思う存分に可愛がりながら、何でも言うことを聞くようにしつけるってやつです。

だから娘と天皇の間に男の子が生まれることが大前提。権力維持の前提が無くなってしまい、藤原氏は栄華を極めてる最中にスパーンと力を失います。

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