鎌倉時代の社会経済①〜惣領制と武士のくらし

鎌倉時代の社会経済、つまり人々のくらしについて、受験で出る範囲で話していきたいと思います。今回は前半戦、惣領制とはという話がメインです。

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惣領制

鎌倉時代で押さえておかなければいけないのが惣領制(そうりょうせい)です。この時代、武士はいくつもの家族が集まってファミリーを形成していました。そのトップを惣領といい、それに従うものを庶子(しょし)と言います。

ここまで他氏排斥事件で出てきた御家人、たとえば比企能員や三浦泰村といった人たちはみんなこの惣領です。その下に何百人もの部下を抱えていました。あっさりと殺されたように感じたはずだけど、みんな大企業の社長レベルの人なのです。

ただし、庶子は惣領の完全な子分なのかというと、そうでもない場合があるのがちょっとややこしい。たとえば、和田義盛は三浦氏の一派という話をしました。だから和田義盛は惣領ではなく庶子なのです。

このように、一応どこかのグループに所属はしているけれど、緊急時だけ一緒になって、ふだんは特に一緒には行動しないタイプというのも存在しました。

また、この和田義盛で考えれば分かるように、庶子にはまたさらにその人に従う人がいることもあります。こういう場合は、トップを本家惣領、この義盛の身分を分家惣領という言い方をします。これら全てを合わせて一門といいました。

相続制度

次に前回少し触れた相続制度の話です。鎌倉時代は、パパが亡くなると、その財産である土地は子どもたちに平等に分けられました。これは他所に嫁いだ女の子にも平等に与えられるものです。分割相続という言葉で覚えておきましょう。

ただ、これだとだんだんと分け与えられる面積が減ってしまいます。最初の頃は東京都とか、あるいは関東というサイズで持っていたから気にしなかったけど、分けているうちに、これじゃ食えねえよっていう大きさになってしまったのです。

そういう時代背景と、元寇で頑張ったのに新たな土地がもらえなかったという状況が重なったために幕府は衰退していくのですが、とにかくもう全員仲良くではなくて、兄弟の誰かが全部もらって一族を支えるべきという方向に代わります。

それが嫡子単独相続(ちゃくし)。いわゆる長男が全部相続するみたいな形態が、鎌倉時代末期から始まったのです。ちなみに、北条氏の嫡子のことを得宗と呼んだっていうのを復習として言っておきます。

ちなみに、土地は一期分(いちごぶん)といって本人が子どもなどに相続しないうちに亡くなったら、一族に戻されることになっていました。だから女の子は生きているうちは嫁ぎ先でその土地を使うけど、亡くなったら元の家に戻されたのです。

また、和田義盛がブチ切れた最後のきっかけとして、幕府が甥の土地を勝手に誰かにあげたという話をしたけれど、これも一期分によって当然和田氏に返されるはずの土地だったからなのです。

武士のくらし

武士は広い土地に住み、そこで農業を営んで暮らしていました。武士と聞くと鎧をつけていつも戦っているイメージかもしれないけれど、あくまでも幕府に認められた土地で農業をすることで生計を立てているんです。

もちろん、その所領の中に家があります。武士の屋敷のことをと言いました。「たち」と読みます。「やかた」でも「たて」でもありません。「舘ひろし」の「たち」です。注意。シンプルで実用的な武家造という作り方でできています。

また、ちゃんと戦いに備えた訓練だってしています。騎射三物(きしゃみつもの)と巻狩(まきがり)を覚えておきましょう。前者は家の庭でやる訓練で、後者は実践訓練として狩猟に行くもの。部活の普段の練習と練習試合的な違いです。

騎射三物は3種類の訓練の総称になります。流鏑馬(やぶさめ)、笠懸犬追物(いぬおうもの)です。流鏑馬は今でもときどき見せ物として行われているね。動いてるものにのって正確に撃つ1番実践的な練習です。

笠懸は置いてある傘を射ること。アーチェリーみたいなもんで、正確さを鍛えます。犬追物は、動く犬を当たってもケガをしない弓で狙うものでした。

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