弥生・古墳時代の政治〜金印・卑弥呼・倭の五王の話

弥生時代から古墳時代までの政治について話します。長かった考古学の話が終わり、「◯◯さんが〜したよ!」、そんな具体的な話がようやくできるようになりました。

スポンサーリンク

5つの歴史書

今回は古墳時代中期あたりまでの話です。これはこの古墳時代中期と後期の間に重要な区切りがあるからなんですが、これには前回出た渡来人の阿知使主さんが深く関わっています。

阿知使主は前期の終わりくらいのタイミングで日本に来ました。この時点ではまだ日本には文字を書く術がありません。アッチーたちから徐々に学び、後期になってようやく歴史を残せるようになったのです。

したがって、古墳時代中期までは日本語の文献がなにひとつありません。そこまでのことは他所の国、具体的には中国&朝鮮の歴史書に書いてあったものになります。この外国の歴史書をまとめていく、これが今回の目的です。

その歴史書は5つ。順番に漢書地理志後漢書東夷伝魏志倭人伝高句麗好太王碑文宋書倭国伝となります。まずはこの順番をしっかり覚えてください。歴史書のタイトルと内容が合ってなきゃいけないので、まずは順番から。

注意してほしいのが、高句麗好太王碑文以外は「歴史書の名前」+「章の名前」となっていること。「漢書」という歴史書の中の「倭人伝」の章に日本のことが書いてありました。漢書地理志が歴史書の名前じゃないからね。

漢書地理志

最初の「漢書」地理志。これは中国の王朝が前漢だった紀元前1世紀のことについて、班固(はんこ)という人が書いたものです。このように、①歴史書名②時代③中国王朝④作者の4点セットで覚えよう。

内容は「楽浪郡(らくろうぐん)の海の向こうに倭人がいるよ。百余国に分かれていて、定期的に朝貢してきます」というもの。あくまでも他所の国の歴史書なので、日本のことはこれくらいしか書いてありません。

楽浪郡ってのは朝鮮半島にあった中国の植民地のこと。朝鮮半島には他にも真番郡(しんばん)・臨屯郡(りんとん)・玄菟郡(げんと)と、全部で4つあります。それから朝貢ってのは貢物を持って挨拶に行くことです。

後漢書東夷伝

続いては「後漢書」東夷伝。これは1世紀から2世紀にかけてのことを范曄(はんよう)という人が書いたもの。そのときの中国は後漢と言いました。前漢と後漢は完全に違う国でありながら、同じ「漢」と名乗ったため、こう分けられます。

金印プレゼント

後漢書東夷伝の内容は3点。まずは57年に奴国(なこく)という日本の国の1つが朝貢してきたよってもの。カワイイからお返しに光武帝金印を奴国王にあげたんだーって書いてあります。

この金印は1784年(江戸時代)に福岡県の志賀島(しかのしま)ってところで実際に見つかっています。このスタンプに掘られていた文字は【漢委奴国王】(かんのわのなのこくおう)。委はニンベンがないから気をつけて。

奴隷を送った記録

2つ目は107年に倭国王の帥升(すいしょう)という人が生口百六十人を献上したという内容です。生口とは奴隷のこと。「こいつらを自由に使ってください!」って言ったわけです。

日本国内戦国時代!

3つ目は漢の国の王が桓帝(かんてい)と霊帝(れいてい)の2代の間(桓霊の間)、倭国は大いに乱れてたよって内容です。乱れてたってのは戦争してたってこと。まるで戦国時代のようだったみたい。2世紀後半のことでした。

ちなみにこの「世紀」という言い方は、キリストと結びついた表現なので、このころの中国にはありません。当時は「◯◯帝の何年目」という言い方です。

今回出てきた57年と107年もこの呼び方を覚えておいてください。57年が建武中元二年(けんむちゅうげん)、107年が安帝の永初元年と言います。史料で出てくるので、出来る限り慣れておきましょう。

魏志倭人伝

3つ目は「魏志」倭人伝。こちらは3世紀のことを陳寿(ちんじゅ)という人が書いたもの。そのときの中国はもちろん魏(ぎ)でした。ここでは邪馬台国のことが書かれています。

漢書地理志とけっこう似ていて、「帯方郡の海の向こうに倭人がいるよ。30国に分かれてるね」という紹介文。この時期はもう楽浪郡等はなく、代わって作られたのがこの帯方郡です。

邪馬台国について書かれていることは4点。まず、トップが卑弥呼という人で、鬼道を使って統治していたこと。鬼道ってのはこれまでも出てきた呪術のことで、要は神のお告げを聞いたりする婆さんです。

2つ目はその卑弥呼が239年に魏に朝貢し、「親魏倭王」の称号と金印・銅鏡100枚をもらった話です。こちらにはニンベンがついていて、この金印はまだ見つかっていないことに注意。派遣された人は難升米(なしめ)さんです。

3つ目は卑弥呼が亡くなったあと、しばらくして壱与という卑弥呼のサポートをしていた若い女の子がトップに立ったよって内容。僕は昔『邪馬台幻想記』という漫画を読んだので、カワイイ子のイメージしかありません。

[amazonjs asin="4088727371" locale="JP" title="邪馬台(やまと)幻想記 (1) (ジャンプ・コミックス)"]

そして4つ目は身分階級について。邪馬台国では大人下戸(げこ)・奴婢(ぬひ)の4つの身分があり、道の向こうから自分よりエラい人が来たら、脇にそれて土下座しなきゃいけないレベルの分かれ方だったらしいです。

以上が邪馬台国に関する話でした。内容ではないけど、邪馬台国は未だにどこにあったかが特定されていなくて、北九州にあった説と大和(奈良)にあった説の戦いが続いています。

高句麗好太王碑文

4つ目は高句麗好太王碑文。ここからは古墳時代の話になります。この資料はちょっと特殊で、「碑」とあるように大きな石碑の裏に掘ってあるものでした。歴史書ではありません。

4世紀、好太王の息子の長寿王によって作られました。パパがすごかったことを示すためのモニュメントです。

それから国も中国の王朝ではなく朝鮮に位置する高句麗で、この石碑は首都である丸都(がんと)にありました。とは言っても、ここは今の中国吉林省の中に位置してるんだけど。後に満州と呼ばれる場所です。

書いてある内容で日本史に関係するのは、日本が391年に朝鮮に出兵し、401年に負けて帰っていったよって話です。日本は鉄資源と新しい生産技術を獲得するのが目的でした。須恵器を思い出してもらえればなんとなく分かるかな。

宋書倭国伝

最後が「宋書」倭国伝。5世紀のことについて沈約(ちんやく)という人が書いたものです。中国の王朝は宋だけど、後に日本が鎌倉時代のときも中国は宋でした。前漢と後漢のように、こちらも違う国です。

この歴史書には倭の五王が宋に朝貢したよって話が書かれています。倭の五王とは、5代にわたる天皇のこと。歴史書の中では(さんちんせいこうぶ)と呼ばれています。

この中で後ろの3人はほぼこの天皇だなって目星がついています。済が允恭天皇(いんぎょう)、興が安康天皇(あんこう)、そして武が雄略天皇(ゆうりゃく)です。前回出た「ワカタケル大王」、実はあれがこの雄略天皇でした。

この5人の天皇は、宋に「朝鮮の国々は日本の支配下にあるってことを認めて!」って言いに行きました。朝鮮には7つの国があって、それを日本の管理下として認めてほしいと訴えたのです。

その結果、478年(順帝の昇明二年)に朝鮮6国を支配する安東大将軍に任命すると言われます。まあかなりの権利を認めてくれたよね。一つだけ落とされた国は百済でした。この国だけ既に宋に朝貢していたのです。

以上で歴史書に関するお話を終わります。くり返しになるけど歴史書の名前と内容を必ずセットで言えるようにしてください。

スポンサーリンク