律令制度①〜律令格式の意味と主な役職の話

律令制度を3回に分けて説明します。孝徳天皇の時代に改新の詔で方針が発表され、文武天皇のときの大宝律令によってだいたいまとめられた律令制度。今回はその意味と統治機構についての話をしていきます。

ちなみに、作った人は大丈夫でしょうか?藤原不比等と刑部親王でした。

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律令制度とは何か

これまで、いろいろなところで「律令制度」という単語を出してきました。ただ、それが何なのかは説明していません。もちろん日常用語でもありません。それをここでまとめたいと思います。

律令制度とは、「古代の法制度」という意味です。現在の刑法にあたるものを「」と、その他の法律全てを「」と言い、この2つをくっつけて、「法律で定めたことにしたがって国を運営していく」ことを律令制度と言います。

五刑八虐

刑法とは、「こういうことはしちゃダメで、破ったらこんな罰を受けてもらうからね」ということが書いてあるもの。罰が5種類、やっちゃダメなことの代表例が8種類あって、合わせて五刑八虐(ごけいはちぎゃく)と言いました。

八虐は人を殺しちゃダメみたいなごく当たり前のもの。一方の五刑はちゃんと覚えなきゃいけません。(ち・じょう・つ・る・し)です。苔はムチたたき、杖は棒たたき。徒は刑務所行きで、流は島流し、死は死刑です。

「律」については以上で、残りは全て「令」の中身についてになります。ただ、ちょっとその前に「格」と「式」の説明を済ませてしまいます。

格と式

律令は大宝律令として最初にちゃんとまとめられました。でも、「あー、これもルールに必要じゃん!」ってのは後から必ず出てくるもの。もちろん加えます。この後から加えられた法律を「」と言いました。「きゃく」と読みます。

それから、法律には条文の他に解釈が存在します。安倍政権がムリヤリ憲法の解釈を変えた(?)ことをイメージしてもらえればいいかな。この「解釈したもの」を「」(しき)と言いました。

この2つは平安時代のところで出てくるので、そのときにまた触れます。今は言葉とその意味だけひとまず押さえておいてください。

統治機構

続いては古代の統治機構をまとめます。東京に総理大臣がいて、その下にいろんな省庁とその大臣がいる。そして各都道府県にまた県知事と職員がいて、さらに市町村自治体がある。

これが現代の統治機構です。それに対して古代は?って話をしていきます。

中央=二官八省一台五衛府

大和政権のところで見たように、基本的には天皇がいるところが今の国会のようなイメージです。そこを中央と、それ以外を地方と呼びました。まず、天皇を中心とした中央。ここの仕組みを二官八省一台五衛府と言います。

天皇の下に神祇官(じんぎかん)と太政官(だじょうかん)、弾正台(だんじょうだい)、五衛府という4つのグループがあって、太政官の中にさらに8つのグループがある様を表しています。ダルいけど1つずつ。

神祇官

神祇官は祭祀を司る役職です。これまでも度々言ってきたけれど、この時代にはまだ科学がありません。あらゆることは神頼み。「祈る」ことはものすごく大事なお仕事でした。

神社などで働いて神に祈る仕事は、直接何かを決定する権力はなかったけど、この重要さからリスペクトも含めて一番最初に挙げられる役職になっています。

太政官

神祇官はいろんなことを占う人たち。それに対して政治に関するあらゆることを決定し、実行する部隊がこの太政官です。並んでるけど、こちらのほうが圧倒的に強い。トップを太政大臣、No.2を左大臣、No.3を右大臣と言いました。

太政大臣は任命されないことも全然あったことに注意。3人はとてもエライので、基本仕事はあまりしません。作業する側のトップがその人たちに「今こんな感じで動いてます」と報告します。その人を大納言と言いました。

今、「事務局長」という肩書を聞いたら、昔で言えば大納言の人と思うといいかもしれません。

その大納言に報告する人を少納言と言います。この人は両手に左弁官右弁官という補佐を持ち、その2者の下にそれぞれ4つずつ計8つの省が存在しました。名前と内容を必ずセットで覚えてください。

中務省・式部省・治部省・民部省

まず、左弁官の下に付いたのが中務省式部省治部省民部省の4つです。1つ目は「なかつかさしょう」と読みます。あとで出てくる4つよりもこちらのほうが内容がごちゃごちゃになりやすいので、受験的には重要です。

中務省は詔勅(しょうちょく=天皇の命令)を起草、式部省は文官(ぶんかん=役人)の人事や教育を、治部省は仏事(仏教関係)と外交を、民部省は戸籍や税金の管理を行っていました。

兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省

続いて右弁官の下に付いた4つが兵部省刑部省大蔵省宮内省です。それぞれ「びょうぶしょう」「ぎょうぶしょう」「おおくらしょう」「くないしょう」と読みます。最後のは今でも普通に使うから知ってるかな。

兵部省は軍事を扱う防衛省的なところ。刑部省は裁判を執り行って刑を執行するところ。大蔵省は財政を見る財務省的なところで、宮内省は天皇を中心とした宮中のお世話係です。

繰り返すけど、8つの名前を内容とセットで押さえてね。

弾正台

弾正台は他のグループの人たちがきちんと仕事をしているかをチェックするところです。会社で言えば監査と呼ばれるもので、「ここの予算はムダじゃね?」とか、「これ予定通り進んでなくね?」ってな感じでバシバシ突っ込んできます。

現在は大きな力を持っているんだけど、このころはなんだかんだ太政官に「うっせえ!」と言われると何も出来なくなる、そんな力負けしている状態でした。

五衛府

最後の五衛府。これはガードマンたちのことです。1番エラい衛門府(えもんふ)を筆頭に、衛士府(えじふ)と兵衛府(ひょうえふ)の2つが担当地区によって右と左に分かれて、計5グループありました。

各国=国→郡→里→郷

今、日本には全ての地域に住所がふられているよね。しかも都道府県→市長村といった感じでだんだん細かくなるように樹形図的になっていて、それぞれのところで県庁や市役所の職員がいる。古代も全く同じです。

ディズニーランドを例に話します。TDRは千葉県浦安市舞浜1番地1にあるんだけど、これを昔っぽく言えば、千葉国浦安郡舞浜里1-1といった感じになります。

つまり、都道府県にあたるものが「」、市町村にあたるのが「」、地域が「」という単位で呼ばれました。そしてそれぞれのトップを「国司」「郡司」「里長」と言います。東京国の小池国司さん、大阪郡の橋下元郡司さんという感じだね。

国司は中央から選ばれた人が来るシステムでした。その地域のことを知らないのに偉い顔をする、地元民的にはだいぶウザいやつです。任期はは6年(のちに4年)。国衙(こくが)という場所で働きます。

一方の郡司、これは地元の有力者が任命されるもので、しかも終身・世襲制です。つまり、死ぬまで地域のトップに居続けていて、死んだら次は息子がトップになるってこと。

要はずっと同じ家の人が地域のトップを張ってる構造。だから働く場所といってもほぼ自宅なわけだけど、これを郡家(ぐんけ)と言いました。国衙と揃えて郡衙(ぐんが)と言う場合もあります。

最後の里長。里という単位は奈良時代に「」という名前に代わります。里長も当然、郷長と代わりました。約50世帯で1里(→郷)と、2〜20くらいの里で郡、いくつかの郡で国となります。この緩さはさすがに昔。

ちなみに、郷という単位に代わってからは、10人くらいを房戸、25人くらいのカタマリを郷戸と言うようになりました。

地方=五畿七道

住所に書かれることはないけれど、東北とか九州とか、「◯◯地方」という呼び方が存在するよね。これにあたるものもちゃんとありました。五畿七道(ごきしちどう)です。

今とは少し違って、東海道東山道北陸道山陰道山陽道南海道西海道の7つ。山陰道と山陽道の位置に注意ね。上(=北)が明るい山陽道で、下(=南)が暗い山陰道です。

あと、今は東京を中心とした地域を首都圏と言うでしょ。同じように中央の周辺地域を畿内(きない)と言いました。そしてその中に国が5つあるよって様を五畿といいます。

右上から反時計回りに大和(やまと)・山背(やましろ)・河内(かわち)・和泉(いずみ)・摂津(せっつ)と並んでいます。「ヤマとヤマにカワとイズミが接してる」って覚えましょう。

三関

改新の詔のところでやったように、当時の東日本は敵がいる地域でした。そこで東から畿内に入れる道を3ヶ所に限定します。具体的には関所を置いて、入ってくる人を全てチェックしたのです。3つの関所で三関といいます。

東海道とつなぐ場所として伊勢国の鈴鹿関(すずかのせき)、東山道をつなぐ美濃国の不破関(ふわのせき)、北陸道をつなぐ越前国の愛発関(あらちのせき)です、

京職・摂津職・太宰府

以上が基本的な統治機構の全貌です。ただ、いくつかの特別な地域には特殊な役職がありました。それが京職(きょうしき)・摂津職(せっつしき)・太宰府(だざいふ)の3つです。最後にこれらを紹介します。

まずは京職。当たり前だけど、都は特別な場所。治安は徹底的に良くなくてはいけません。そこで都の中で警察の役割をしたのがこの京職。衛士府や兵衛府と同じく、左右に分かれました。

よくごちゃごちゃになるけど、こっちは警察、五衛府は門番だから注意してください。

次の摂津職。これは国司の摂津国バージョンを指します。なぜここだけ特別なのかと言うと、摂津国には難波宮があって、長いこと外交を中心とした大事なことをやっていました。だから他の国司より1ランク高くしたのです。

最後の太宰府は九州に置かれた中央の出先機関です。大陸に1番近い場所は、やっぱり超重要。だから中央の全幅の信頼を持った人を派遣し、大きな権限を与えました。

都とは距離があるため、いちいち天皇の判断を確認する余裕がないことも多々あります。だからその場で判断する役割を担ったのです。ここから太宰府は遠の朝廷(とうのみかど)とも呼ばれました。

土地制度の話で出てくるけど、大宰府は後に税金の取り方を勝手に変えてしまいます。そこまで自分たちの判断で決めていいくらい、権限が認められていた場所だったのです。

以上がまずは律令制度自体と、そこに記された大まかな統治のシステムについてでした。次回は身分の話、そしてその次で税の話と、3回にわたって律令制度が続きます。

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