律令制度の2回目。今回は国民の身分制度の話と、前回の話と重なる部分として役人のランクの話をまとめていきます。
古代の身分制度
律令制度のもとでは、天皇以外の全ての国民は5つに分けられました。官人(役人)・公民(農民)・品部or雑戸(技術者)、そして奴隷です。奴隷以外の4つをまとめて良民と言い、奴隷は賤民(せんみん)と言いました。
賤民はさらに誰に雇われて何をしているかで5つに分かれたので、五色の賤(ごしきのせん)とも呼ばれます。内容まで覚える必要はありません。国に使えたのが陵戸・官戸・公奴婢、権力者の私有民が家人と私奴婢です。
班田収授法
これらの国民は戸籍でちゃんと管理されていました。庚午年籍と庚寅年籍を覚えてますか?誰天皇のときかも大丈夫?内容と時代は必ずセットだよ。前者はビビった天智天皇が、後者は娘の持統天皇が作ったんですよ。
この戸籍を使い、班田収授法に基いて6歳以上の男女に口分田という土地が国から与えられます。これは次回話す税金を取るためにすることで、唐の均田法(きんでんほう)というやり方をまるパクリしています。
ただ、今と違って手続きが大変なので、実際に年齢チェックと口分田の配給が行われるのは6年に1回。したがって残念な人は11歳になって初めて土地がもらえるようになります。6歳になった瞬間にもらえるのではないので注意。
あと覚えておいてほしいのは、どれくらいの面積の口分田をもらえたかです。これは男女で違うし、また良民か私有賤民かによっても差がありました。官有賤民3種は良民と同じ広さなので、こちらも注意してください。
まず、基準となる良民男子の広さが2段です。それが女性になると2/3になって1段120歩。1段=360歩なんです。そして賤民は1/3になり、結果として賤民男子が240歩、賤民女子が160歩となります。
全くイメージができないと思うので、一応説明を加えると、1歩と1坪は同じ広さになります。だから成人男子は720坪の土地を持つことになる。ちなみに、今300坪あったらなかなかの豪邸です。
ちなみにちなみに、この口分田はちゃんとした形に区切られ、田んぼとして使えるようにある程度耕されて水も引かれているものでした。このように整然と整理された田地であることを、条里制といいます。景色的にも美しい。
官人
話は官人に代わります。聖徳太子による冠位十二階。この役人の評価基準は、天武朝の48階など、何回か変わっていました。律令制度ではこれが10段階(細かくは大小を加えて30)に再編集されました。一位、二位…と数字で表します。
「こいつは国家運営に使えるぞ」って思われた人はこの位階をもらい、実績を積んで上の方を目指していくのです。この位階をもらった人が官人、いわゆる役人、あるいは官僚と呼ばれる人たちです。
官位相当の制
前回、中央の統治機構の話をし、太政大臣や大納言など、さまざまな役職が登場しました。これらの役職は全て、なれる人のランクが決まっています。たとえば1番エラい太政大臣は、1番エラい位階である一位の人しかなれないなど。
位階を持っていることが、その役人の実力をきちんと評価していることなので、役職のレベルをこの位階に紐づけておけば間違いがないわけ。このことを官位相当の制(かんいそうとうのせい)といいました。
高い位を手にすることができれば、それだけいい仕事につける。それがモチベーションとなってみんな頑張るんです。
蔭位の制
役人のモチベーションを上げるための仕組みとして、もう一つ蔭位の制(おんいのせい)というものがありました。これは一定以上の位階を持った人は、子どもにも自動的に低めの位階をプレゼントするものです。
基本的に役人は実力勝負の世界なので、パパが偉くても、子どもは子どもで自分の力で権力をゲットしなければいけません。ただ、五位までのエラい人には特例として、子どもに役人の地位からスタートさせてあげますとしました。
でも、これをしてしまうと権力がけっこう固まってしまうんですね。エラいポジションはいつになっても同じ家柄の人が占めているみたいな。だからこの五位以上の人ってのはだいたい決まったメンツになっていった。これが貴族です。
四等官制
役人に関する話としてもう1つ、四等官制というものがあります。各役所の幹部は長官をトップに4つのランクに分けられていました。社長が1人、副社長が2人、部長が4人で課長が12人みたいな感じかな。
この4つのランクを「長官・次官・判官・主典」と言いました。「かみ・すけ・じょう・さかん」と読みます。
これは国司や郡司も同じように4つに分かれました。国司の場合は「守・介・掾・目」、郡司は「大領・少領・主政・主帳」です。ただし、読み方は全て、「かみ・すけ・じょう・さかん」、同じなんです。だから字に注意しましょう。
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