奈良時代①〜古事記&日本書紀完成、元明・元正天皇の話

奈良時代に入ります。奈良時代はしっかりとした物語があって、それを楽しんでいたら自然と覚えなきゃいけない用語がつながってくる、すごく勉強しやすい時代です。

余分なことももちろん話すけど、まずは全体の物語を楽しんでください。たった天皇7人分しかない時代。主要キャラの気持ちが分かれば、かなりスッキリします。まずは元明・元正天皇、2代続く女帝の物語です。

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元明・元正朝の主な出来事

708和同開珎鋳造
710平城京遷都
〈711〉蓄銭叙位令
712古事記完成
〈713〉風土記編纂命令
出羽国大隅国設置
718養老律令
720日本書紀完成
〈722〉良田百万町歩開墾計画
723三世一身の法

飛鳥時代終盤の復習

奈良時代最初の天皇は元明天皇です。推古・皇極(斉明)・持統に続く4人目の女性天皇。女性が天皇になるにはやっぱり理由がありました。ここの流れからまずは見ていきます。

元明天皇の前の女帝、持統が天皇になった経緯を覚えているでしょうか。天智の、つまり天皇家の血をつなげるためには、孫の文武を天皇にするしかなくなり、強引におばあちゃんが天皇になったのでした。

この話が何のことなのか分からない人は、この先の説明が繋がらなくなってしまうので、必ず持統・文武天皇の説明を先に読んでくださいね。

なんとか文武が青年になるまで耐え、計画通り皇位を譲ることで、持統の想いは達成されたはずでした。

しかし、その文武が若いうちにまた亡くなるというアクシデントが起こります。主な出来事が大宝律令しかないのはこのためね。

天武天皇の子孫の中で、天智天皇の血を継いでいるのは文武たった1人。超幸いなことに、文武は亡くなったとき新米のパパでした。ちっちゃい男の子がいたんです。それが次回登場する聖武天皇となります。

全ての希望はこの赤ちゃんに託されます。だからこの赤ちゃんが大きくなるまで、また持統のように誰かが頑張らなくてはいけない。その役目を果たしたのが、(聖武にとって)元明おばあちゃんと、元正おばちゃんだったのです。

パパが死んじゃったので、その代わりにパパのお母さんとお姉ちゃんが世話をしてくれたのでした。

ということで、元明・元正天皇はあくまでもつなぎ役を担っただけの天皇でした。ただ、この先を見てくれれば分かるように、結構いろんなことをしていて、その中には平城京というデカい都を作ったりなんてこともあります。

そんな大胆なことがどんどんできたのは、このつなぎの天皇の他に次々と物事を進められる強い人物がいたからでした。もちろん、持統と取引をした藤原不比等です。全然若かった不比等は、元明・元正朝で権力を持ち続けます。

元明天皇

では、元明天皇の政治の話を始めます。

和同開珎鋳造と蓄銭叙位令

まずは708年、武蔵国で和銅が発見されるという大ニュースが飛び込んできました。和銅とは、スゴく純度が高くて良質な銅のこと。武蔵国は今の神奈川県北部から埼玉県にあたります。

ちょっと広いのでもう少し細かく言うと、銅が見つかったのは埼玉県の秩父というところです。アウトドアレジャーやスピリチュアルスポットがたくさんある人気の観光地で、「あの花」の聖地としても有名になりました。

というか、僕も聖地巡礼しました。アニメはあまり詳しくないけど、観光に行ったときに存在を知り、じゃあ一度体験してみるかということになって。

地元のお兄さんがナンパのごとく話しかけてきて、「ここがこのシーンの家」とか、「ここからこう見るとこの絵になる」とかを約2時間くらいかけて教えてくれたよ。メッチャ面白かった笑

話を戻すと、当時、国は「お金っていうものがあったら便利だよねー」っていうのをちょうど思っている時期でした。というのも、80年くらい前から唐が開元通宝というお金を使っているのを知っていたからです。

「え、この銅が使えるじゃん!」と一気にテンションが高くなり、さっそく作ります。和同開珎(わどうかいちん)、日本で初めて支払うために作られたお金です。そしてテンションが上ったついでに、元号「和銅」としました。

この和同開珎を作ったのをきっかけに、以降いろんな天皇がお金を作ります。平安時代中期までに作られたお金をまとめて皇朝十二銭と言いました。

ちなみに、皇朝十二銭の最後は村上天皇による乾元大宝(けんげんたいほう)と言います。出たときにまた確認しましょう。

気をつけてほしいのは2点。まずは漢字です。和銅発見・和同開珎・元号を和銅に。和同開珎だけ金偏がつかないんです。それから、支払いに使われると言ったけど、まだまだ物々交換が主流で、あまり使われることはありませんでした。

そこでちょっと対策を打ってみたのが711年の蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)です。お金の価値を上げるために、たくさん持ってる奴には位階をあげるよ!って言います。

位が上がるくらいお金が大事なものなんだと感じて欲しかったのです。

ただ、ちょっと考えれば分かるとおり、たくさん持ってなきゃいけないということは、みんな貯めこんでしまって使われなくなるという大失敗に終わりました。なので結局は廃止に終わっています。800年のこと。

平城京遷都と古事記・風土記の作成

和同開珎鋳造から2年後、そして蓄銭叙位令の前年である710年、都を平城京に移します。今の奈良県奈良市。正確にはこれをもって奈良時代が始まりました。藤原京と同じく、唐の長安をパクった作り方をしています。

苦労して引き継いだ文武天皇が早くに亡くなってしまったため、「ここはあまり運勢がよくない」という、それこそスピリチュアル的な理由で引っ越しを決めたのです。

新たな時代になり、都だけでなくさまざまなものを整備します。

まずは712年に古事記が完成しました。神代(=最初の天皇降臨)から推古天皇の時代までの歴史書で、稗田阿礼(ひえだのあれい)という人が暗記していたものを太安万呂(おおのやすまろ)がメモったものとなります。

続いては風土記の作成。これは全国のガイドブックです。地名の由来やどんな特産物があるか、どんな伝承・言い伝えがあるかといったことを記録しました。713年に作れという命令を出し、徐々に完成していきます。

一応全ての地域が作ったはずですが、今残っているのは常陸(ひたち)・出雲(いずも)・播磨(はりま)・豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)の5つだけ。しかも全て揃った完本は出雲国のものだけです。

出羽国・大隅国設置

古事記完成と風土記編纂命令と全く同じ年、日本は領土拡大に打って出ます。って言っても、中国や韓国に行ったわけではありません。東北には蝦夷、九州南部には熊襲(くまそ)という人たちがいて、これを何とかしようとしたのです。

具体的には712年に出羽国を、713年に大隅国を作ります。「これより先は危ない」という地域の一歩先に踏み込み、戦いに備えた前線基地を作ったのです。元明天皇はここまでということになります。

元正天皇

元明おばあちゃんが力尽きると、その遺志を継いで叔母ちゃんの元正天皇が即位します。もちろん、この時期も権力を持っているのは藤原不比等。なので、天皇が代わったからといって、特に変化はありません。

死ぬ前の養老律令制定

強いて言えば、不比等もさすがに年をとってきた。なんて言ったって、元正天皇のおばあちゃん(=持統)の代から権力を握ってたわけだから、そろそろ限界が近いと悟っていました。

そこで、死ぬ前にさらに権力を高め、藤原一族を安泰にしようとしました。それが718年の養老律令(ようろう)の制定です。内容は大宝律令とほぼ変わりません。

大宝律令は刑部親王との共著だったけど、今回は単著。自分1人の名前でルールを作ったのです。やっぱりその方がスゴい感じ出るからね。そしてこの2年後、不比等は亡くなりました。

天武系が作った日本書紀

不比等が亡くなった720年、日本書紀が完成します。作ったのは舎人親王(とねり)と太安万侶(おおのやすまろ)の2人。舎人親王は天武天皇の息子です。

日本書紀の特徴は、編年体(へんねんたい)という書き方をしていたことです。毎回最初に書いている「主な出来事」のように、年号順に出来事を書いていく書き方です。

よく古事記と日本書紀ってセットで出てくることがあるけれど、この2つは作られたときの天皇が違うので注意。同じ時期に作られた古事記と風土記は「記」で、違う時期の日本書紀は「紀」と覚えておけば大丈夫でしょう。

繰り返し言うように、天武天皇はもともと天皇家ではないと言われています。それが国が滅びる危機感から、無理やり天皇になった。いくら救国のためとはいえ、完全にやってはいけないことをやった人なのです。

だからこそ、「バカバカ、違うよ。俺が天皇になったのは正しいことなんだよ」っていう証拠を作り出すことが必要でした。そこで作ったのが日本書紀という歴史書。持統朝までの内容で、天武に都合がいいようにばかり書いてあります。

たとえば、仏教が伝わった年には2つの説があるという話を覚えているでしょうか。538年説と552年説の2つがあるけれど、日本書紀だけが552年説を言っていて、あとは全部538年だと言っている。

こんな風に、日本書紀の記述は他のものと一致しないことが非常に多いんです。だから嘘ばっかりの歴史書と言われている。ただ、日本国が出した正式な歴史書なので、それが真実だという意見が根強く残っているのです。

良田百万町歩開墾計画からの三世一新法

今、日本は多くの問題を同時に抱えています。少子高齢化社会をどうにかしなきゃいけないし、各地で自然災害は続いている。経済力でどんどん抜かれていて、これもどうにかしなきゃいけない。

これは今に限らずいつの時代も同じことだし、個人のことを考えてみてもそう。成績が上がらない悩みと、彼女ができない悩みを同時に抱えてるなんて、当たり前にあることです。

この時代は天智の血をどう守るかという悩みの他に、「やばい!土地が足りない!」という悩みを抱えていました。律令制度で決めた班田収授、いざ配りだしたら、農業ができる土地があっという間になくなってしまったのです。

もちろん、この時代、まだまだ土地には困っていません。ただ、農業が出来る土地となると、ある程度耕されて灌漑設備がなければいけません。もちろん、耕して水を引いてくれば作ることはできるわけで、それをやろうとしました。

それが722年の良田百万町歩開墾計画。「りょうでんひゃくまんちょうぶかいこんけいかく」と読みます。名前の通りちゃんと農業ができる土地を100万町歩分作るぞっていう計画です。

でもこれ、どれくらいの面積を増やすものかって分かりますか?今で言えば、海を埋め立てて日本をもう1つ作るくらいのヤバい作業量なんですよ。結局、10万もいかないうちに失敗します。

失敗した最大の理由は、これを労役のように強制させたからでした。強制されることにテンションが上がる人はいません。だから個人のやる気が上がるような政策じゃないと無理だということに気づきます。

そこで考え直した結果作ったのが、723年の三世一新法(さんぜいっしんのほう)です。すでに一度手の入った土地を耕したらその人1代のものだけど、新たにカッチカチの土地を開墾したら孫の代まで所有させてやるという内容です。

やっぱり、みんな孫はかわいいんだよね。自分が頑張れば孫が楽をできると言われたら、おじいちゃん頑張っちゃうわけ。こうしてひとまず土地が足りない問題に対処できたところで、2代続いた女帝の物語は終わります。

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