奈良時代④〜道鏡は悪人?称徳・光仁天皇の話

奈良時代の最後、称徳天皇と光仁天皇の話です。前回に続き、今回も覚えることは少ない。ってか今回は4〜6つしかありません。完全に奈良時代と次の平安時代とのつなぎの回です。ポイントは「道鏡ってどんな人?」

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称徳・光仁朝の主な出来事

〈765〉加墾禁止令
〈769〉宇佐八幡神託事件
〈780〉伊治呰麻呂の乱

称徳天皇

「淳仁天皇&藤原仲麻呂のペアじゃ国が滅びる。奴らに政権を預けたのは私の責任だから私がもう1度!」と言って孝謙天皇が返ってきます。重祚して今度は称徳天皇です。

加墾禁止令ー道鏡の活躍

右腕として働いたのは前回名前だけ登場した道鏡という人。お坊さんです。今は政教分離という原則があって、仏教を進行するお坊さんが政治に絡むことはできません。ただ、この時代の仏教は違います。

律令制度で私度僧という話をした通り、当時、僧になるには国の許可が必要でした。戒律という厳しい道徳を守る国家公務員、これが昔の僧に対する正しい理解だと思います。

道鏡はその中でも最も優秀だった人、今で言えばちょっと盛りぎみにはなるけれど、財務省の事務次官みたいな人だと思ってください。天皇が自ら自分の右腕として選ぶには望ましい人物だったのです。

この2人がまずやったことは、藤原氏の権力が拡大していくのを抑えることでした。バカな一般人が権力を持ちすぎると、仲麻呂みたいに外国を侵略して皇帝になるんだとか言い出すからです。

前々回の墾田永年私財法で話した通り、藤原氏が権力をどんどん伸ばしていた背景には私有地を増やしていたことがありました。だからこれが今以上増えないようにしたんです。

加墾禁止令。寺社以外が開墾することを禁止した法律です。

宇佐八幡信託事件ー皇帝制VS天皇制

藤原氏の反対を押し切って加墾禁止令を出せたことで、称徳天皇にとって1つ大きな仕事が終わりました。次に考えなければいけないことは、次の天皇をどうするかということでした。

前回、孝謙天皇が即位した理由で述べたように、称徳天皇には子どもがいません。そして天智天皇の血を受け継ぐ唯一の人物ということで、他の皇族ともうまくいっていませんでした。

だから「この人を次の天皇に」という候補もいなかった。

どうしようかと悩んで、母親が推す藤原仲麻呂と、その仲麻呂が勧める淳仁天皇に位を譲ってみた。そしたらびっくりするくらい最低なヤローだった。身内の人にも、身近な人にも、誰一人信頼できる人がいなかったんです。かわいそう(´・ω・`)

それとは別に、称徳天皇は高貴な身分なので、ある程度の勉強はもちろんしていました。この点は仲麻呂と同じです。だから中国が皇帝制を取っていることももちろん知っていました。

中国の皇帝制というのは、儒教の考えにしたがって国を運営するというものです。これは最も「徳」のある人が国を統治すれば、その国は良くなるという考え方。

ざっくり言えば、有能で誠実でカリスマ性がある人がトップになるべきということ。家柄とかは関係ありません。称徳天皇はこの「徳のある人が皇帝になれば国がよくなる」という考え方に魅せられます。

そしたらすごく気が楽になったんですね。「なんだ、次の天皇に悩んだりしてないで、一番の実力者である道鏡を皇帝にするほうがよっぽどいいじゃん」と思い始めます。天皇制の否定です。

そこでまず、道鏡の立場を太政大臣禅師→法王という順番でエラくさせます。太政大臣は貴族がなるって律令制度に書いてあるので、禅師を追加することで明らかに同じものを建前上は違う役職にします。法王も王様の僧版です。

こうして着々と準備をし、最後の極めつけとして宇佐八幡宮からの神託を用意します。九州にある宇佐八幡というところの神様から、次は道鏡をトップにするのがいいですよっていうお告げをもらったと言うのです。

しかし、「さすがにそれはやりすぎ」と言って反対する人が大勢いました。というか、多くの人にとっては仲麻呂が暴走したときと同じくらい、称徳についても「コイツはヤバい。日本が崩壊する」と思ったのです。

そこで和気清麻呂(わけのきよまろ)を宇佐八幡宮まで確認しに行かせます。戻ってきた清麻呂は「なんか称徳天皇はバカをほざいてましたけど、そんな事実はどこにもありませんでした」と報告をしました。

この一連の出来事を宇佐八幡信託事件と言います。称徳天皇はブチ切れて清麻呂を大隅国に配流としました。ただし、この直後、称徳天皇は亡くなります。そして道鏡は下野国の薬師寺に左遷、代わりに和気清麻呂が復活となりました。

称徳天皇の死は、自分の想いを実現できなかったことによる精神的なショック死と習う場合が多い。けど、『逆説の日本史』を書いている井沢元彦氏は、皇帝制反対派によって称徳天皇は毒殺されたと言っています。

とにかく、藤原氏の権力好きに翻弄され、彼氏を作ることも許されず、そんな中で見つけた自分なりの答えもみんなから大反対をされる、そんな無茶苦茶かわいそうな女性の生涯が、こうして終わりました。

光仁天皇

称徳天皇の死によって天皇制の存続という、日本の根本原理は守られました。しかし、それは同時に天智天皇の血が途切れるという万世一系の原則が破られることを意味していました。

藤原氏っていうのはスゴいもので、このことを自分たちが再度権力を握る手段と変えてしまいます。それは、皇位継承の可能性がほぼ無かった天智天皇の孫に対し、「あんたが天皇にならなきゃいけないんだ!」と言って取り入るんです。

そして他の候補者をうまく騙し、天皇になる可能性がほぼ無かったその人を無事即位させます。光仁天皇、御年62歳の当時としては超おじいちゃん天皇です。そして自分を応援してくれた藤原百川(宇合の孫=式家)を右腕にします。

くり返しになるけれど、光仁天皇の即位は天智系天皇&藤原氏の権力が大復活した出来事でした。この権力を途切れさせないように、百川は早いうちから息子の藤原種継にも右腕としての活躍をさせています。

伊治呰麻呂の乱

光仁天皇の時代、唯一の事件が伊治呰麻呂の乱です。読み方は「いじのあざまろ」or「これはるのあざまろ」、どっちでもOK。この人は陸奥の国の郡司ですが、もともと蝦夷出身でした。この人が反乱を起こしたのです。

蝦夷に対してはだいたい勝つんだけど、これは完敗した話です。聖武朝で作られた多賀城が陥落します。そしてそのまま時代は次の平安時代へと入っていったところで、本格的な蝦夷征討を行って取り戻すという流れになるのです。

以上で奈良時代の話はおしまいです。前にも言いましたが、奈良時代は絶対に天皇と政権担当者をセットで覚えてください。覚えることも他の時代に比べたら多くないので、確実な得点源にできると思うよ!

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